心病む母が遺してくれたもの 精神科医の回復への道のり
かつて日本では、統合失調症を発病すると、精神科の病院に何年もの間、入院していることが珍しくありませんでした。精神科医の夏苅先生のお母さんが統合失調症を発病したのもそのような時代。本書に書かれているのは、統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていた)を発病した家族を否定するしかなかった時代を生きた人たちの悲劇だと思います。
美人で優しくて器用で、郁ちゃんの自慢のお母さんは、先生がまだ10歳の少女だったとき、こころに異変を来しました。病気の正しい知識もなく、お父さんの言葉や態度を通して、先生もまたお母さんに恐れや嫌悪や拒絶を感じるようになる。お母さんはやがて精神科病院へ入院し、治療もはじまりましたが、退院すると薬を飲まなくなって再発・再入院。結局ご両親は離婚し、お母さんは実家へ帰されます。お母さんのようになるまいとして医学部の学生になっていた先生は、お父さんの再婚への戸惑いから、無茶な飲酒や喫煙、拒食や過食に走りはじめ医学生としてはまことに不本意な自殺未遂まで起こしてしまう。いつ消えてしまっても不思議のないような人生のどん底を経験されました。
しかし、その後の先生の回復の道のりには、他者への深い優しさとすがすがしい発見があります。様々なこころの葛藤を抱えながらもお母さんと再会した先生。
精神病に対する偏見は根強く、すでに精神科医となられていた先生が本書によってご家族の病気をカミングアウトすることにも大変な勇気が必要だったと思います。先生のお母さんの時代に比べれば、統合失調症の治療や支援、福祉サービスは格段に発展していますが、精神科の病院へその当時からなお長期入院されている方が多いのも現実です。夏苅先生は、世間一般の方々に精神疾患について理解して欲しいとの願いを込めて本書を著したそうです。本書やその他のご著作により先生はそのお役目を見事に果たされていると思います。
(精神科医局 宮田量治)