メニュを開く メニュ
文字サイズ 標準

凄絶な生還 うつ病になってよかった

:竹脇無我(監修:上島国利)
出版社
:マキノ出版

 1960年にデビューし二枚目俳優として活躍した竹脇無我さんは、高校生のとき有名なアナウンサーだった父上が自死。アルバイトのため知人の紹介で撮影スタジオに出入りするうち自然と俳優になったそうです。しかし、日々の仕事や家庭生活から生じるストレスによって40代後半でうつ病を発病。8年間の闘病をへてうつ病から回復したあと、はじめて「等身大の自分」として生きられるようになったそうです。タイトルの「うつ病になってよかった」というのは、病気を契機にそれまでの生き方が大きく変わったことを喜んでいる竹脇さんの本音なのです。

 この本は、監修した昭和大学(出版当時)の上島先生が「私たちのいいたいことがすべて入っている」とコメントされている通りで、精神科医からみても、うつ病の闘病手記として内容が的確な上、簡潔で説得力があります。竹脇さんはうつ病回復のポイントは「一に休養、二に薬の助け、三に治したいと思う自分の気持ち、そして、もうひとつは、周囲の人の支え」としており、「病気のことを公言してしまえ」とも話されています。病気を公言することで、格好をつける必要もなくなりますし、まわりの人も闘病を応援しやすくなるのではないでしょうか。竹脇さんは、お見舞いのお手紙から「太陽でさえ浮き沈みするのだから、気分が沈んでも自分なりにやっていこう」と思えるようになりました。

 うつ病極期の竹脇さんは、自宅マンションから飛び降りようとして屋上をまさに逡巡する日々が続きましたが、死なずにぎりぎり生き延びることができました。このような経験から「自殺」や「自死」という字面をみると、いかにも自分から死を選んだみたいだけれども、実際は違っていて、行動しているのは確かに自分だが、その頭の中は病気に支配されている。だから、うつ病の自殺は「突発死」といった方がよいくらいだとも述べています。40年以上をへて、竹脇さんは父上の自死にも理解を寄せられるようになり、ご身内ではじめて父上を偲ぶ会を開くこともできました。竹脇さんは、俳優に無事復帰され、2011年に脳出血で67歳の生涯を終えられましたが、離婚した奥様、2人の娘さん、内妻などに見守られながら息をひきとったそうです。

(精神科医局 宮田量治)

ページの
先頭に戻る