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パパは楽しい躁うつ病

:北杜夫・斎藤由香
出版社
:朝日新聞出版

 どくとるマンボウこと作家の北杜夫さんと娘でエッセイストの由香さんの対談集です。北杜夫さんは、自分の躁うつ病を、いまでいうところの「自虐ネタ」にして「躁うつ病を世に知らしめた」方。本書には、随所に躁病のときの北さんの写真が掲載されていますが、これらの写真を見ると、面白いというよりも、躁病はやはり大変だと思いました。読み散らかした本や雑誌の中で悠然と寝たばこをふかす北さん。美女と出会うために夏の軽井沢で木刀を持ち上半身裸で乗馬する北さん。世田谷の自宅をマンボウマブゼ共和国にして国家主席におさまった北さんは、自宅へ50人以上のお客様をお招きし、奥さん手作りの国旗の前でひとり国家斉唱、作家の遠藤周作さんに「文華勲章」を授与したそうです。あとで思い返せば、悪夢のような出来事だったのではないか・・・。

 北さんが発病したのは昭和44年。ひとり娘の由香さんが小学1年の夏だったそうです。躁病がはじまると、北さんは怒ったり赤ちゃん言葉を使ったり、まったく儲からない株取引で多額の借金を重ね、最後には破産に追い込まれました。

 催眠術で悪の限りをつくし最後に発狂したドイツのマブゼ博士と違い、北さんが人生を破滅しなかったのは、ご家族やご友人への深い愛情表現やユーモア、斎藤茂吉の次男で人気作家という(会社勤めをしなくても)稼げる手段を持っていたからかもしれません。しかし、わたしは本人もご家族も躁うつ病を隠さなかった(隠せなかった)ことが闘病の強みになったのに違いないと思いました。娘の由香さんも奥さんも本当にすごい方々です。本人のつくった「当家の主人、発狂中」の張り紙を由香さんはおもしろがって自宅前に張り出しますし、お母さんもそれを止めなかったようです。躁病に辟易としながらも受け入れてしまえる。精神的な病気はご家族にとって負い目となり、兄弟や親戚にも言えないというひとが少なくありませんが、病気をオープンにするとまわりには一緒に笑ってくれたりつらさを分かち合ってくれるひとが集まって来るのかもしれません。北さんにはつらいうつ病の時期もありましたが「虫の冬眠」と思って治ることを信じていたそうです。どんな予想外の人生でも悲観的にならないことが大切ということを深く考えさせられます。

(精神科医局 宮田量治)

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