メニュを開く メニュ
文字サイズ 標準

ぼくの命は言葉とともにある

:福島智
出版社
:致知出版社

 福島さんは、盲ろうを抱えながらも東大教授になられた現代の偉人。その在り方もですが、発せられる言葉のひとつひとつには魂を揺さぶられるような強烈なメッセージがあります。盲ろうを体験できない私たちには想像しかできませんが、福島さんの体験する日常は、おそろしいの一言に尽きます。大学で講義をしても、教室に学生がいるのかどうかも分からない福島さんは、日々、広大な宇宙空間にひとりで漂っているような感覚があるそうです。

 盲ろうのためにコミュニケーションがとれなくなり、窒息しそうな状況に追い込まれた福島さんが絶望せず前進してこられたのはどうしてなのか。18歳で残る聴力が完全に消失した福島さんに、指点字で「しさくは きみの ために ある」と伝えてくれた盲学校の友達がいたそうです。まさに、その言葉通りに、思索することを自分の使命としてこられた福島さん。福島さんが引用されると、フランクルの言葉も、さらにありありとした実体のある言葉として深く自分の中にはいってくるのです。甘やかされた環境の中では、学んでも学びきれないことがあるということなのでしょうか・・。

 盲ろうに屈しない強靭な精神の持ち主と思える福島さんも、40代で、適応障害からうつ状態を経験したことがあるそうです。精神科医の立場として、福島さんの本を読んで思うことは、精神障害(精神疾患から生じるひと付き合いや生活のしづらさ)との付き合い方はやはり難しいということです。精神障害にも、ほかの障害と同様、これ以上よくならないというラインがあると思うのですが、それを明確に判定することは難しいし、もっとよくなることを期待するのが自然です。しかし、視力も聴力も失った福島さんは、盲ろうを受け止める他はなく、いつかは治るだろうというような甘い期待は抱けなかったのです。自分の厳しい状況をありのまま受け入れること。それには大きな苦痛が伴うでしょう。しかしそれを認められるからこそ、回復へのエネルギーも生まれて来るのではないのか。障害があっても一歩一歩と、前進できるのではないのか。

 精神障害に対して、医師としてどう向き合うのがよいのか、また、障害をかかえた本人とどう伴走していくのがよいのか。私はもっともっと深く考えなくてはならないと思いました。

(精神科医局 宮田量治)

ページの
先頭に戻る